わたしはからっぽだ。

 

秋は自宅のソファに仰向けになり、ぼんやりした目でマルチプレイを始めた。

 

最初に出てきた村の壁際に、人差し指を押し付ける。

その指から生まれ出た無数のウォールブレイカーが、乾いた音を立てながら壁を目指して行進していく。

 

秋の指から湧いて出た白い骸骨たちは、壁まで辿りつく前に、Xボウの銃弾を受け砕け散っていく。

 

それでも秋は指を離すことをしない。

連れて行った100体のウォールブレイカーが全てはじけ飛んだ時、壁の前にはおびただしい数の墓標が散らばっていた。

 

破壊できた壁は、ゼロ。

 

「ウォールブレイカーの冷たく死に絶えた心が温まる唯一の喜びは、壁を爆破した瞬間です」

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秋は一人ため息を吐いた。

 

高校2年生のわたしも、そうして一列に順序良く並んで、なんだかよく分からないままに年を取って、死んでいくのかなあ。

 

そんなことを秋は思った。

 

* * *

 

その日の夕方、秋はギターを担いで電車に乗った。

電車で約10分。横浜駅で路上ライブをすることになっていた。

 

「アキ、今日こそはがんばろうね」

 

相方の美樹は念を押すように言った。言葉ではがんばろう、と言っているものの「しっかりやれよ」と半ば脅しをかけるような目をしていた。

親友の呼びかけに、秋はゆっくりと頷く。

 

だが、秋は少しもがんばれる気がしていなかった。

いつもそうなのだ。

 

路上でギターをかき鳴らして大声で歌っていると、それなりに人は集まってくるのだけれど、その人々の顔を見ていると、すぐに気持ちが冷めてしまう。

 

「愛とか恋とかさ、若いねぇ」

「あの左のコ可愛くない?」

「こんな街中で歌なんて歌っちゃって、邪魔なんだよね」

「おっ、いまパンツ見えそうだったんだけど」

 

17のわたしに、愛とか恋とか語れるようものあるんだっけ?

そもそも自分の歌なんかに、人を引き付ける力があるんだっけ?

 

そうして私のギターの音は美樹の歌声と合わなくなり、次第に人も離れていく。

美樹の顔も曇っていく。

 

歌が嫌いなわけではなかった。人から見られることも。

 

でもライブを特別やりたいわけではなかった。

美樹がやろうって言ってくれるから、それに私は合わせてるだけ。

そこには自分の意思はない。

 

だから、人に見られて歌っていると、一歩引いて自分を見て、それで冷めていくのだった。

 

そう、わたしはからっぽなのだ。

 

* * *

 

100体のウォールブレイカーを犬死させたところで、秋は小さくため息を吐いた。

 

美樹は、やはり少し怒っていた。申し訳なく思う。

 

「一歩引いてしまう」性格のせいで、秋はクラスに溶け込めなくなっていた。

クラスメイトに嫌われているわけではなかったが、文化祭も、体育祭も、球技大会も、同級生たちがワイワイ騒いでいる中に入っていく自分が想像できなくなっていて、いつも遠くで彼らを見ていた。

 

そんな秋をいつでも気遣っていたのが美樹だった。

美樹は秋とバンドとして続けていくことを望んでいた。

 

そんな美樹のことを、まだ秋は少し警戒しているけれど、それでも美樹の前でだけは意見も言い、他愛のない話もし、本当の自分を出すことができた。

 

美樹のために頑張らなくちゃならないのに。

そんなことを考えているうちに、クランのチャットはかなり溜まっていた。

 

クランの名前は「メゾン・ド・ドッグス」。

アパートの名前のようである。

クランの創設者は犬好きだったのかもしれないと、秋は思う。

 

リーダーのyuzy2代目のリーダーのようだった。

その前に誰がリーダーだったのか、秋は知らない。

 

ローレンツ

みなさん、ここに来る前はどこかのクランに所属してたんですか?

 

ゴールド・ロジャー

僕はここが初めて。居心地良いから離れられなくてね

 

xxxMaryxxx

私は他に所属してましたよ♪

でもなんかセクハラみたいのがひどくて٩(`^´)۶

 

セクハラ、ねえ。秋はソファの肘置きに頭を載せる。

秋は昼間のライブを思い出した。観客の中に一人だけ、秋のスカートから覗く太腿を凝視する男がいた。


もう顔も覚えていないが、じっと見られたその感覚だけで、秋はひどく吐き気がした。

 

xxxMaryxxx

会社のクランだったんですけど、上下関係もあるからなかなか居づらくて

 

aki

それは抜けてきて正解ですよ

居づらいところにいても、苦しいだけなんですから。

 

苦しいところにいたら楽しめるはずがない。

 

秋は、思ったことをそのままチャットに残した。

このクランでは、自分を作ることも必要ない。

 

ディズニーの主題歌みたいに、ありのまま、だ。

 

* * *

 

その日のクラン対戦はひどいものだった。

 

akiをはじめ、上位で全壊をとれたのは人気実況者の「ミカサ」だけだった。

一方、下位では全壊も多いものの、一部のメンバーが凡ミスを繰り返し、ホグラッシュで二連巨爆を踏むなどの不運も重なり、星の取りこぼしがかなり多くなっていた。

 

WONGDA

今日はみんな駄目ですね

 

android

すみません、下手すぎて消えたい……。

 

クランの雰囲気はいつになく沈んでいた。

チャットの流れも普段と比べて格段に遅い。

 

秋は各々の謝罪と後悔が並べられていくチャットにやや苛立ちながら、親指を滑らせた。

 

aki

佐藤さんは、ドラッシュ自体は問題ないので、ババキンも使ってサイドカットをしておけば、最後の小屋を残さずに済みましたよ

 

aki

androidさんは前に攻めた人のリプレイを見ましょう。そうすれば巨爆の位置がある程度分かると思います

 

佐藤

確かに、それであと2秒削れていれば……

 

android

すっかり忘れていました。すみません

 

aki

謝ることはないですから、次に生かして絶対に勝ちましょう!

 

いくつかのアドバイスをすると、クランが目を覚ましたように活気づいた。

他の上位メンバーもアドバイスを始め、互いに検討を始めた。

 

佐藤

akiさんは、指示も的確で、本気でアドバイスもしていて、頼もしいね。

 

メンバーの佐藤が、ふとそんなことを書き込んだ。

秋ははじめ、自分のことを言われているのが分からなかった。

 

本気? 頼もしい?

 

aki

わたし、そんなことないです。

いつも本気になれなくて、友達にも迷惑かけてるし……。

今日だってそれで怒られちゃって。謙遜とかじゃなくて本当に

 

自分はなぜ顔も知らない人たちにリアルでの出来事を語っているのだろう。

チャットを書き込みながら、秋は思った。

 

xxxMaryxxx

akiちゃんは大人なのね( ´艸`)

 

aki

大人……なんでしょうか

こんなふうに雑談したり、人にアドバイスしたりするのなんて、クラクラの中だけなんです。

 

秋は、クラスメイトの輪の外でいつも見ている風景を思い出し、胃の中が重くなるのを感じた。

そう、普段のわたしはクラクラのakiとは全く別人なのだ。

 

aki

普段のわたしは、ここにいるakiとは全然違うんです。

 

佐藤

わたしもメールでなら取引先にもきちんとしゃべれる

 

ゴールド・ロジャー

akiさん、顔が見えないから、言えることもありますよ

 

顔が見えないから言えることがある。

秋はチャットの書き込みを小さな声で呟いた。

 

ゴールド・ロジャー

僕らの時代はネットやゲームは顔が見えない偽物の会話だなんて教えられてきましたが、いまは違うでしょう?

顔が見えないから言えることもあるし、本気でできることもあるんじゃないでしょうか

 

顔が見えないから、本気でできることもある。

秋は思わずその場で立ち上がった。誰もいないはずの自宅が、にわかにざわめき立ったような気がした。

 

* * *

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翌日16時。横浜駅西口交番前。

美樹は花壇の煉瓦に座って腕を組み、やたらと難しい顔をして唸っていた。

 

「で、あんたが言いたいのは、今までいきなりやる気がなくなったり、冷めたりしたのは、お客から自分の顔が見られていたのが原因ってことね」

 

「そう。わたしみたいな人生の表面を薄くなでたみたいな人間が歌った歌なんて、聞く価値あるのかなんて、考えちゃって。

 

でもその迷いは、わたしが17歳の秋のまま歌ってるから出てくるんだよ。ネットゲームのチャットみたいに、顔を隠して歌えるなら、きっと本気になれるはず」

 

美樹は最後まで聞かず、ふーん、と言った。

 

「それで、その結果がそれ?」

 

美樹が、秋の右手の指先につままれた紙袋を横目で見た。

紙袋には小さな穴が二つ。ところどころ、カラフルな油性マジックで落書きをされている。

 

秋はそれをガサガサと広げると、自分の頭にすっぽりとかぶせた。

紙袋の油っぽい匂いが、秋の鼻をつく。

 

「あんたバカじゃないの?」

 

美樹は半笑いで言った。

紙袋に空いた穴から、秋の目がきょろきょろ動いているのが分かる。

 

「いい案だと思うけどな。セカオワだって仮面かぶった人いるじゃん?」

 

「あんたとLOVEさんを一緒にするな」

 

美樹が秋の頭を小突く。紙袋がひしゃげる音がした。

その間抜けな音に、秋と美樹は二人で笑う。

 

「とにかく今日はこれで歌うよ。

顔が見えないからこそ、言えることも、歌える歌もあると思うし」

 

まだ笑っている美樹を横目に、秋はもう一度紙袋をしっかりとかぶり直す。

顔が見えないからこそ、本気で歌える歌だってあるんだ。

秋は、自分に刷り込むように、もう一度呟いた。

 

 

その日の夜。

からっぽの少女は、からっぽの紙袋をかぶり、横浜駅に大きな人の群れを作り出した。



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