silvia

わたしは好きだよ。クロックスさんのこと。

 

クランチャットでそんなコメントを見たのは3日前のことだった。

 

クランでチャットに参加しないメンバーを一掃することになった。

放置プレイヤーはすぐに追放されていった。だが、発言をせずクラン対戦に参加するメンバーをキックするか否か、クランの中で意見が分かれた。

 

くだらねえ。キックでもなんでもしてみやがれ。

 

黒田学は、チャットに参加したことがない。それでも行動を改めることはなかった。

発言しないことに特別な意味はない。その代わり慣れ合うことにも意味を感じてもいない。

ついでに、命乞いをしてまでこのクラン「メゾン・ド・ドッグス」に居続ける理由も見つからなかった。

 

結局、騒動は一旦保留という方向で落ち着いた。

キックされないことが幸運であるならば、黒田はsilviaに救われたのだった。

 

* * *

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夕暮れの黄金町を黒田は一人、ひっそりと歩いていた。

 

昔ながらの風俗街は、飲食店の灯りから隠れてひっそりと暗く、時折通る会社員に付きまとう黒スーツの客引きが、小虫のように気味悪く蠢いている。

 

行きつけのソープランド「キャメロン」で「こと」を終えた黒田は、女から手渡されたメッセージカードを読むこともなくリュックに突っ込んだ。

 

黒田が「キャメロン」に通うようになったのは一年半前、大学2年のころだった。

 

エリートで人格者の両親と、才色兼備の兄弟たち。

黒田自身も勉強はでき、容姿も悪くなかった。

 

そんな理想的な家庭に生まれながら、黒田は家族と同じ道を歩くことを拒否した。

明るく従順であることが是とされる価値観についていくことができなかった。

 

高校に入ると、黒田は部屋に籠り始めた。

家族の視線は日に日に冷たくなり、黒田は脂肪を蓄え醜く太っていった。

 

大学に入ると同時に一人暮らしを始めると、途端に人肌が恋しくなった。

サークルや合コンも、腹の脂肪のせいで思い描く人付き合いができなかった。

 

ソープランドは良かった。

金さえ払えば女は腰が砕けるほどの快楽をくれる。

その金すら、世間体を気にした両親から大量に送られてくる手切れ金なのだから、黒田が躊躇する理由はなかった。

 

「なんでこんな仕事してるんだ?」

黒田は以前、お気に入りの女にこう聞いたことがあった。

 

「黒田さんがいつも来てくれるからだよ」

小さく首を傾けて、女は間髪入れずに媚びて見せた。

その理想的な回答に、黒田はひどく絶望した。

 

あからさますぎるのだ。

あるべき価値観から外れた瞬間に愛することを止めた両親のように、この女も金の切れ目で自分を切り捨てるのだろう。

 

分かっていた。金が結んだ肉体関係に本当の愛などないことは。

ただそれでも、自分の救ってくれる愛がそこにあるような気もしていたのだ。

 

この世に自分を好きだと言ってくれる人など誰もいない。

その日以来黒田は、僅かな人との繋がりの一切さえも断ち切った。

 

* * *

 

黒田はスマホを横向きに掴んで地下鉄に乗り込む。

 

まだクランを追放されてはいなかった。

画面の左側には、他愛もない会話の流れが相も変わらず垂れ流されていた。

 

追放されるくらいなら、自分で出ていってしまおうか。

そうも思ったが、自ら行動を起こすのさえ億劫で資源狩りを始める。

 

落ちている間に奪われたダークエリクサーを取り返さなくては。

運よく出会った放置村を蹂躙すると、機械的に同じユニットを訓練する。

 

silvia

新しい仕事きまった。

 

yoh

silviaさん、おめでとう!

 

気まぐれにチャットを開くと、こんな会話が飛び込んできた。

取るに足らない、無価値な会話。それにも律儀に反応するメンバーたち。

 

silvia

めでたくなんかない。ただ飼いならされる相手が変わっただけ

 

チャットが一瞬停止するのが黒田にも分かった。

自分から話題を提供しておいて、それを自ら破壊する身勝手さに、返信すべきかどうかメンバーたちは考えているのかもしれない。

 

このsilviaも、黒田と同じクランのはぐれ者だった。

協調性というものを一切見せないわりに、律儀に所属して義務は果たす。

 

silviaが追放されたら、それは自分がキックされるときだと、黒田はそんなことを思った。

 

横浜駅で地下鉄を降り、人の群れに乗って地上へ出る。

バス停までの路上でライブをしている高校生の二人組が見えた。

興味に流され、立ち止まる。

 

彼女らが身動きをするたびに、紺色のスカートが大きく揺れた。

黒田の視線はその太腿に吸い寄せられ、その奥の眺めを意図せず思い描く。

 

この子にも彼氏がいたりして、親がいない夜には隠れてヤッたりしているのだろうか。

こんな若い清楚な娘であれば、自分のことを愛してくれたりするのだろうか。

 

急に止まった演奏に黒田はハッと顔を上げた。

興ざめした顔の女子高生には目もくれず、黒田は妄想を押さえつけながらバス停に向かって再び歩き出した。

 

* * *

 

バトゥ

チャットに参加しないメンバーをキックする件ですが

 

事態が動いたのは、3日後の夜だった。

幹部陣は据え置きにしていたメンバー整理の方針を固めた。

 

バトゥ

すでに放置メンバーは全員キックしましたが、他に対戦には参加するのにチャットに一切顔を出さない人がいます。

 

バトゥ

この人たちが明日中に残留表明をしない場合、キックします。

該当者はこのクランに残る場合、その旨を表明し、以後チャットに参加してください。

 

黒田はそのチャットの流れをリアルタイムで見ていた。

特に感想はなかった。

言われるがままチャットに参加する気もなかったし、それを拒否する気もなかった。

 

このまま置いておけばキックされるのだろうな。

それくらいにしか考えなかった。

 

silviaというメンバーが、あの時なぜ自分を庇ったのかはよく分からなかった。

「わたしは好きだよ。クロックスさんのこと。」

そう言った真意も意図も分からなかった。

 

silvia

新しい職場、思った通り最悪だった。

 

脈絡もなく、投下された独り言に反応をするメンバーはもう一人もいなかった。

 

* * *

 

次の日、黒田は「キャメロン」を訪れた。

いつものように黒服の隣をすり抜け、待合室の椅子に腰かける。

 

今日は最近お気に入りのメロという娘を予約していた、はずだった。

「黒田様、申し訳ありません。ご予約の際、係の者が名前を聞き間違えたようで、メロのご指名にはあと50分ほどお時間を頂戴しなくてはならず」

 

そう言った男は、もう一度謝罪を口にした。

奥にはもう一人小男がいて、不安そうに俯いている。間違えたのはそいつに違いなかった。

 

黒田が口を開こうとすると、「その代わり」と男が遮る。

「その代わり、新人の娘がいま空いておりまして、お値段も引かせていただきます。ご容赦いただけないでしょうか」

 

黒田は時計を見る。この日は出席必須の大学の講義があった。

50分も待つわけにはいかなかった。

 

* * *

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現れた女は「哀子」といった。

変な名前だと思った。写真も他と比べてあまり加工されておらず、一人だけやけに人間臭い雰囲気があった。

 

見た目も派手ではない。肩に届く程度の黒髪が、素朴な印象を与えた。

哀子は会うなり黒田の手首を掴むと、黙って階段をつかつかと上り、黒田を部屋に押し込んだ。

 

腹の脂肪に息を切らす黒田を気にすることもなく、ぎこちない手つきで黒田の汗ばんだシャツを脱がしていく。

 

とんだハズレを引いちまった。

黒田は「交換」を申し出ようかとも思ったが、いつの間にか全裸にされた状態では、理性も本能も、すでに決壊寸前となっていた。

 

哀子はするりと自らの衣服を落とす。少し紅潮した、白く華奢な肢体が姿を現した。

印象よりか細い体が、黒田の神経を妖しく撫でる。

 

「こっち」と初めて言葉を発して、彼女は黒田を洗い場に促した。

 

独特の形状の椅子に座らされたまま、黒田は黙って体を洗われていた。

最低限の反応を除いて哀子は何も話そうとしない。それは洗い終わって行為に移っても同じだった。

 

黒田の動きに「あっ……」と一声喘いだ以外は、頑なに口元を押さえて声を殺していた。

 

ただ黒田には、それが殊のほか不快には感じられなかった。

哀子の動きの一つ一つはとても丁寧だった。

皮の厚い部分は力強く、敏感な部分は包み込むように優しく、互いに意思を疎通しているように黒田は錯覚した。

 

黒田はそれを温かみを覚えた。

哀子は行為が終わっても口をつぐんだまま不愛想だったが、それが黒田には、下手に喋るよりも心地よく感じた。

 

それが何であるか、黒田には言い表すことはできないが、なんとなく「愛」というもののように感じられ、哀子の「あい」は「愛」でなく「哀」だと当たり前のことを思った。

 

「哀子ちゃんは……人から好かれたことがあるかい」

哀子は丸い目でしばらく黒田を見ていたが、やがて視線を前に戻して「ない」と小さく言った。

「私の身体が好きだと言われたことはある」

 

その剥き出しの背中が怯えるように小さく丸まっていて、黒田は性欲とは別の衝動で、そのしなやかな白い腰を抱いた。

腕の隙間から覗く白い乳房も、先ほどより小さく頼りなく見える。

 

「おれもない。いや、昔はあった。いまはおれを虫みたいに扱う両親が言った。

ただ、この間……笑うなよ。ゲームの中で他のプレイヤーに言われたんだ。好きだって。

おれの計算し尽くした攻撃が好きなんだと」

 

哀子は何も言わず、横目でちらりと黒田を見やった。

一寸前に出会ったソープ嬢に何を話しているのか、バカらしい。

そう思ったが、話し始めてしまった以上どうにでもなれと黒田は続ける。

 

「我ながらバカだとは思うよ。たかがゲーム、しかも攻め方が好きだとよ。

でも、おれは……それでも少し、嬉しかったんだ」

 

あの瞬間、何も感じまいと堪えながらも、確かに喜びを覚える自分がいた。

silviaという、顔も性別も分からないプレイヤーに好かれて高ぶる感情が確かにあった。

 

「人に好きだと言われることは、どんな形でも嬉しいことなんだな」

黒田は全裸のまま、哀子を抱いて呟く。

 

哀子は肩に回った黒田の手をそっとほどいた。

「私は……私は嫌い。この仕事も、お客も」

 

そして少し腰を浮かせて、黒田の上に覆いかぶさるようにして、そっと唇を重ねた。

「でも私は好きだよ。そういうあなたのこと」

 

黒田は呆気にとられ、抱えた哀子ごとベッドの上に倒れ込んだ。

「なんだよ、それ。どういう……」

 

哀子はしばらく黙って考え、言った。

「なんでもないよ。……強いて言うなら、顔に似合わず繊細な指使いとか?」

 

「なんだそれ」

黒田は思わず吹き出す。

愛から一番遠い場所で、黒田はその残り香を嗅いだような気がした。



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