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木村拓男は電車の中にいた。

揺れる車内でスマホを横向きに持ち、小さく小刻みに親指を滑らせる。

 

Clash of Clans

仕事の合間の息抜きにと思って始めた。

細かい作業は性に合わなかったが、なぜかこのゲームだけは続けられた。

 

木村は苛立っていた。

木村は48歳になる。小さな清掃会社で、毎日ビルのガラスを拭いて暮らしていた。

 

時刻は2330分。

普通なら三人で作業して18時には終わる仕事だったが、新入りが連絡もなしに欠勤したため二人での作業となり、この時間になった。

 

社内には飲み会終わりの会社員。

まだ水曜だというのにいい気なものだ。その赤ら顔に唾を吐きかけてやりたくなる。

 

駅に着くと、逆側のドアが開いた。順序良く並んで、木村も車両を降りようとする。

 

その時、ドアの隙間をすり抜けて、一人の男が強引に電車に乗り込んだ。

木村と肩がぶつかり、木村はスマホを取り落しそうになる。

 

「てめえこの野郎!」

乗り込んだ男の襟首を掴んで、力任せに引っ張る。

ぶちっと何か切れる感触を確かに覚えてから、木村はその男をホーム上に引き倒した。

 

* * *

 

男は会社員だった。

突然引っ張られ、ワイシャツのボタンをちぎられたことに動揺しつつも、男は木村を反抗的な目で睨んだ。

それが木村には気に入らなかった。

 

その男を怒鳴りつけ、さらに口を開こうとした男に飛び蹴りを食らわせた。

騒ぎを聞きつけた駅員が集まってくると、通行人を押しのけ、改札をすり抜けて逃げた。

 

木村が外でトラブルを起こすのは初めてではない。

気に入らないことがあるとまず手が出て、相手が反抗しようものなら非を認めるまで叩き潰した。

その気性に耐えられず、嫁は2歳になったばかりの子供を連れて逃げていった。

 

そんなことを、木村は反省したりもしていた。

トラブルを起こせば信頼して雇ってくれている会社に迷惑がかかり、ひいては先輩や後輩の不利益にもなることは分かっていた。

 

それでも、何かあると自分でもよく分からないほどに興奮し、まず手が出てしまうのだった。

 

その日木村は自宅まで逃げ帰ると、タバコに火をつけ横になった。

いつもの音楽と共に、クラクラを起動する。


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対戦は木村の所属するクラン「メゾン・ド・ドッグス」に有利に進行していた。

ちょうどリーダーのyuzyが相手の早あげTH10から全壊をとったところだった。

 

木村はキムタクという名でプレイをしていた。

仕事の先輩が木村をそう呼んでいた。「イケメンと一緒のあだ名で、いいじゃねえか」

一昨年、機材に指を挟んで仕事を辞めた先輩は、そう言って笑った。

 

クランには台湾人の女の子が一人いた。

プレイヤー名を劉麗華といった。

 

彼女はよく木村に話しかけ、木村もよく返事をした。

日本語を勉強中だという彼女の日本語はあまり上手ではなかったが、どことなく落ち着いた雰囲気から木村は彼女が、自分よりやや年下の女性なのだろうと思っていた。

 

特別な感情を抱いている自覚はなかったが、ゲーム内とはいえ気難しい自分に話しかけてくれることが、木村にはたまらなく嬉しかった。

 

劉麗華

キムタクさん、私がんばってゴレム使いました。

これは成功しましたか?

 

キムタク

麗華さんこんばんは。

とても上手です。サイドカットにはガゴを使うのはどうですか。もっと容量をセーブできます。

 

劉麗華

キムタクさんありがとうございます。

アドバイス嬉しいです。

 

木村はできるだけ丁寧な言葉で返事をした。

自分の言葉が麗華に通じているのか不安だったが、それでも彼女が喜んでいる様子であるため、木村は特に余計な説明はしないことにした。

 

木村は一人、カビの生えた天井を眺める。

画面の向こうの麗華を想像して、台湾人の外見をよく知らないことに気づいた。

でもきっとこんな感じだろうと適当に、チャイナ服を着たリン・チーリンを想像する。

 

ふと、逃げた嫁と子供を思い出した。もう15年も会っていない。

子供の名前は秋といった。そろそろ高校生になっているはずの娘の姿は、容易には想像できなかった。

 

自分がもう一度、あの幸せな日々に戻れることなどあるのだろうか。

先ほどのリン・チーリンを思ったところで頭を振ってそれを振り払った。

 

上半身だけ起こすと訓練してあったユニットを確認し、配置の甘い対戦相手をホグラッシュで素早く蹂躙した。

 

* * *

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次の日、現場に向かう前に木村は部長に呼び出された。

自分では作業もせず、ただ毎日帳簿を見てため息を吐くだけの無能な上司だった。

 

しかし、先輩はなぜか部長に恩義を感じているようで、後輩の木村は今でも逆らうことなく彼に従っていた。

 

「木村君、昨日欠勤した稲葉君のことなんだけれど」

会うなり、部長は普段よりも眉の端を下げ、怯えるように言った。

 

「彼、君のことが怖くて仕方ないそうだ。君、殴ったんだろう? 彼のこと」

部長は一言一言かみしめるように、静かに呟く。

 

確かに木村はその若者に手を上げた。

しかし何を任せても文句しか言わない根性を叩き直すため、その肩をどついた程度だった。

そんなひどい仕打ちはしていない。

 

「いや俺は……」

「今の子はね」部長は木村を遮って喋る。

 

「今の子は厳しくすれば良いというものではないんだよ」

それから、心底困ったという風にため息を吐き、独り言のように言った。

 

「社長は君のことを気にかけているよ。君に若いのをもっと鍛えてほしいってね。

でも僕はね、君に稼がせてあげたいというのが社長の本心だと思う。君、嫁さんと別れただろ? 社長が心配してるんだ。

でも、駄目だね……。今の君にはとても任せられないよ」

 

部長はそれから一度も木村と目を合わせなかった。

無言で帳簿に向き直って、拳を握りしめた木村に「もう行っていいよ」とだけ言った。

 

木村は事務所のドアを力任せに開け放ち、乱暴に軽トラックを走らせた。

苛立っていたが、部長を殴ったり事務所を破壊したりすることは先輩の志に背く気がして思いとどまった。

 

なぜおれはこうなんだ。

国道を走りながら、木村は自問した。

 

誰が憎いわけでも嫌いなわけでもない。

ただ、人に迷惑をかける不義理が許せないだけなのに。

 

答えの出せないまま、木村は延々と続く国道を、ハンドルを強く握って疾走した。

 

* * *

 

その夜、木村は自宅で一人酒をすすっていた。

 

自分の不甲斐なさで社長や先輩、初めて上司らしいことを言った部長の顔に泥を塗っていると思うと、逃げ出したい気分になった。

これまでも逃げた嫁と子供に申し訳なく思うことはあったが、改めて自分の無力さを呪った。

 

つまらないテレビを消した一瞬の静寂の後、聞きなれた起動音が部屋に響く。

夕方に終わったクラン対戦は圧勝だった。木村も上位から星を6つとった。

 

クラメンたちの歓喜のチャットを一番上からなぞっていく。

 

佐藤

皆さんお疲れ様でした。連勝ですね。

 

mai

勝ててよかった♪

私ももっとがんばりまーす(*^^*

 

一つのコメントを見ていると、まるで自分の近くにメンバーたちがいて、代わる代わる喋っているような、そんな感覚だった。

そして木村は、ある部分で指の動きを止める。

 

キムタク    サブリーダー

yuzy さんに任命されました。

 

木村は一瞬、その意味が分からなかった。

しかし自分の昇格が祝われていることを理解すると、一瞬で酔いが覚め、文字を打ち込んでいた。

 

キムタク

yuzyさん、どういうことです。

私がサブリーダーだなんて、間違いではないですか?

 

yuzy

間違いではありませんよ。

キムタクさんは実力もあるし、メンバーの指導もできています。キムタクさんにサブリーダーを任せたいんです。

 

キムタク

いや、しかし私は……

 

自分には資格がないと思った。

暴力でしか解決できない自分に、ゲームとはいえ上に立つ資格はないのではないか。

また人に迷惑をかけることになるのではないか。

 

そのときだった。

 

劉麗華

キムタクさん、いつも優しくてありがとう。

私はいつも助けてもらう。嬉しいですよ。

 

yuzy

ほら、彼女もこう言っています。

キムタクさんはよく考えて発言してくれているのが分かります。

サブリーダー、お願いしますね。

 

ああ。

 

木村は酒で火照った体を畳の上に横たえた。

いつもと同じ、カビで黒ずんだ天井を仰ぐ。

 

おれは暴力だけの男ではないのか。

考えて話せば、おれは優しくなれるのか。

おれには、認めてくれる人がいるのだ。

 

気づけば天井のカビのシミは、染み出た涙に揺らいでいた。

誰に見られるわけでもないのに慌てて目をこすり、木村は畳の上のスマホに向かい合った。

 

キムタク

分かりました。

サブリーダー、務めさせていただきます。

 

その日のカップ酒の味を、木村は忘れることができないでいる。



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