NKJ56_hizawotukuboy_TP_V

赤坂乱太郎。

そう書かれた塾の月謝袋を鞄に突っ込み、乱太郎は塾のすぐ隣の公園に走る。

 

公園では青山絵里が、3台あるブランコのうち右側に座って待っていた。

乱太郎はセカンドバッグをブランコの支柱に放り投げると、絵里との間に1台空けて、左側のブランコに座る。

 

「遅いよ乱太郎。またジュクチョーに呼び出されてたわけ?」

横持ちのスマホをいじりながら、絵里はぶっきらぼうに尋ねる。

 

「まあな。授業中にユニット作ってたらバレちまった」

笑いながら、乱太郎もスマホを取り出すと、それを横向きに持って画面に目をやった。

 

レッド

ブルースカイさん、援軍ありがとうございました!

 

ブルースカイ

はーい!

 

「あ、援軍ありがとな」

「うん」

 

帰りの公園でブランコに座ってクラクラをするのは塾帰りの日課だった。

中学生の彼らだが、塾帰りの夜中に男女で一緒にいれば同級生の冷やかしの標的になることは分かっていた。

 

しかし、乱太郎にとってそれはどうでもよかった。

絵里も気にしていないようだったし、何より乱太郎にはその時間がなにより幸せな時間だった。

 

乱太郎は絵里が好きだった。

 

絵里は美少女だった。乱太郎の幼なじみでもあった。

クラスでは明るくリーダーシップも取れる、人気者だった。

乱太郎は絵里のことはなんでも知っていた。

 

だから、絵里が同じ塾の上級生の吉田先輩のことが好きなのも知っていた。

 

* * *


UNI125162814_TP_V

「この配置だったら下からよりも上から攻めたほうがいいんじゃない?」

「そうかー? 右から攻めたほうがエアスイの死角になるんじゃねーか?」

 

佐藤

レッドさん、16番を攻めるなら、右から攻めて左から援軍のバルーンを出すのがいいと思います。

 

「ほら、うちのクランで一番のドラゴンラッシュ使いの佐藤さんもそう言ってるぜ」

「あっそ。じゃあそうすれば―?」

 

絵里はそっけなく言った。

その様子が何故か寂しげで、乱太郎は少しだけ取り乱す。

 

「あ、でもお前のアドバイスだって聞いてないわけじゃねえよ? ほらなんて言うか、おれのこと一番わかってるのはお前っつーか」

 

慌てて後頭部を掻く。古風な照れ方だと、乱太郎は内心で小さく笑った。

 

「いいの、気にしないで」

絵里はクラクラをやめ、軽くブランコに力を加える。

ふわっと絵里の体が浮き上がって、ホットパンツから伸びる白い足が、すっと空に伸びる。

 

なんだか絵里が遠くに飛び立ってしまうようなそんな気さえして、乱太郎は「お、おい」とまた慌てた。

 

「知ってる? 学校のみんなはわたしと乱太郎が付き合ってると思ってるんだって」

「え……?」

 

乱太郎は、自分と絵里が周りからどう思われているか知っていた。

ただ、このことが絵里の口から語られることに驚いた。

 

乱太郎はそれを聞いて、素直に照れた。

しかし絵里は少しも表情を崩しはしなかった。

 

「このことね、先輩に言われちゃったの」

先輩――絵里が思いを寄せる吉田先輩のことだ。

 

「ど、どうしたんだ。それで……」

「吉田先輩のことが好きって言ったよ」

 

乱太郎の体から、一気に力が抜けた。掴んでいたブランコの鎖から指先が落ち、座席部分の木版に打ち付ける。

 

指先は痛くなかった。しかし心は深く痛んだ。

「先輩は、いいって言ってくれたよ」

絵里は心底嬉しそうに、そんなことを言った。

 

「よ、よかったな。おめでとう」

「……ありがとう」

「あ、おれもう帰るぜ? ほら、浮気してるなんて誰かに言われたら先輩にも迷惑だろ?」

 

絵里は何も言わなかった。

 

小さく笑って乱太郎は夜の歩道へ歩き出す。

いつものように一緒に帰る気にはならなかった。

 

その日の夜、絵里はクラン「メゾン・ド・ドッグス」を抜けた。

絵里は吉田先輩のクランの一員となった。

 

* * *


PP_gekoucyuunojc_TP_V

次の日の塾帰り、乱太郎が公園まで走っていくことはなかった。

走って着いた公園に、絵里がいなかったらと思うと自然と歩みは遅くなった。

 

公園に目をやると絵里はそこにいた。

しかしいつも空いている真ん中のブランコに人影があった。

 

吉田先輩だった。

ゴツメの肩に、染め上げた茶髪。毛先だけ赤くなっている。

少々ガラは悪いが、彼の頭の良さと人望の厚さは誰もが知る所だった。

 

吉田先輩は乱太郎を見ると、すっと立ち上がり、微笑んで絵里に手を振った。

絵里が慣れない仕草でお辞儀をしながら手を上げる。

 

「絵里」

乱太郎が呼びかけると、絵里はいま気づいたような顔をして顔を上げた。

 

いつものように一つ間を空けてブランコに座る。

無言でクラクラを始める絵里との距離がいつもより遠いような、そんな気がした。その割に絵里のスマホの音はいつもより大きく聞こえる。

 

「絵里、クラン抜けたんだな」

何でもないことのように、乱太郎は訊く。

 

絵里は黙って、つま先で地面に円を描いた。

乱太郎は、頑張れば吉田先輩から絵里を取り戻すことができるだろうかと考えた。

 

無理だ。頭もよくて運動もできる上級生に勝てるわけがない。

それに絵里を奪ってどうする。おれは絵里に幸せになって欲しいんだ。

そう自分に言い聞かせた。

 

絵里の足もとの線が何重にもなったのを見て、乱太郎は立ち上がった。

「絵里、おれもう行くわ」

 

これ以上一緒にいるのは吉田先輩に対して申し訳ない。

そんな気がした。

 

* * *

 

絵里が塾に来なくなったのはその次の日からだった。吉田先輩も来ていない。

聞いたところ、先輩と連日遊びに行っているとのことで、絵里の両親も困り果てているようだった。

 

しかし、しばらくすると絵里はまた塾に通い始めた。

最後に公園でクラクラをしてから3週間が経ったころだった。

 

「公園に来い」

塾のテキストを終わらせた乱太郎は、目でそう合図した。

 

遅れて、絵里が公園に入って来る。

座るのはいつものブランコ。間を一つ空けて、左が乱太郎、右が絵里だ。

 

「お前どうしたんだよ。最近塾も来ないしよ。親から電話あったぞ」

乱太郎は、なるべく苛立ちが出ないよう、それでも強まった語気で、絵里に問うた。

 

「分かってるよ」

小さな声で絵里は答える。唇を尖らせて、子供のように足をぶらぶらさせている。

 

「ホントに分かってん――」

「分かってるって!」

 

乱太郎の言葉をさえぎって、絵里が立ち上がる。

その肩が震えているのを見て、乱太郎は静かに大きく息を吐いた。

 

「私、明日からまた塾行くから」

途切れがちな声でそう呟くと、絵里はより一層小さな声で「別れたよ、先輩と」そう続けた。

 

「は……?」

「面白くないって。私じゃ」

 

理解のできない状況に、乱太郎の目が泳ぐ。

どういうことだ? 吉田先輩が絵里を振ったのか。

 

絵里の話を聞くうちに、みぞおちが絞られるような感覚を覚え、それが吉田への怒りだと気づく。

どういう理由で絵里を振ろうとどうでもよかった。絵里を泣かせていること、それ自体が乱太郎には許せなかった。

 

「お前、それだけ好きな相手に振られて終わりでそれでいいのかよ」

「しょうがないじゃない。もういやだって言われたんだから……バカみたい」

 

そして言った。

「ねえ乱太郎。 私、もう処女じゃないから」

絵里は自嘲するように笑った。目からは涙を流しながら、泣きながら笑った。

 

キレた。

 

その瞬間、乱太郎は塾に向かって走り出していた。

塾の前にたむろする吉田が見えた。

 

乱太郎は強く地面を蹴り、そのままの勢いで吉田の顔面につま先をぶつけようと足を伸ばす。

吉田は一瞬驚いたような顔をしたが、体を反らして避けると、乱太郎は勢い余って塾の玄関に激突した。

 

「てめえ……」吉田が素早く起き上がり、乱太郎の胸倉を掴む。

しかし吉田は頭が切れた。塾の前で殴りつけようものなら、騒ぎになることが分かっていた。

 

「絵里に謝れ! 絵里の心も、かっ、体も弄びやがって」

乱太郎は、掴まれたまま力任せに暴れて叫ぶ。

 

「体? まだ指しか入れてねえよ」

「うるせえ、おれと勝負しろ!」

 

「勝負だあ?」半笑いだった吉田の顔が引き締る。乱太郎は冷静を装う。

「いまからおれをお前のクランに入れろ。フレンドチャレンジでおれが勝ったら絵里に謝れ」

 

「フレンド、ねえ。それなら、おれが勝ったらてめえをサンドバッグにさせてもらうぜ」

吉田が声高に笑う。吉田の仲間は、いつでも乱太郎を袋叩きにできる位置に移動している。

 

クラクラでだけは負けてはいけない。いや、負けるはずがない。乱太郎はそう思った。

毎晩絵里と、ああでもないこうでもないと試行錯誤を続けてきた。

 

それで負けるわけにはいかないと、乱太郎はスマホの上で親指を滑らせる。

「勝負だ、吉田!」

 

* * *

 

SDIM3148_TP_V


「よかったね、ジュクチョーに助けてもらえて」

夜のブランコを小さく漕ぎながら、絵里は笑う。

 

「うるせえ、邪魔しやがって」

一つ空けたブランコで、乱太郎はブランコを乱暴に漕ぐ。

 

「だって乱太郎、タウンホール9にドラゴンラッシュで挑んでボロ負けしたんじゃん。あのまま殴られてたらどうなってたか分かんないよ?」

絵里はスマホを取り出して、まったく野蛮なんだからさ、と呟いた。

 

「あのなあ、おれはお前のために――」

「ありがとね。乱太郎」

予想外に素直な反応に、乱太郎の耳が赤くなる。絵里はいたずらっぽく笑いながらも、それに気づかないふりをしてスマホに目を落とす。

 

「乱太郎、あのさ」

「あー?」

「なんでいつも真ん中空けてんの」

 

絵里がブランコの真ん中を指す。

乱太郎は「そりゃお前――」と何か言いかけて、「こっちだって気を遣ってんだ」と膨れて見せた。

 

「いいからさ、来なよ。隣に」

「うるさい、お前が来い」

 

今晩も二人は薄暗い公園のブランコに座って灯りをともす。

その光はくっつくことも、離れることもなく、しばらくして消えた。

第九話>

第十一話>