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私はきっと、こうして来る日も来る日も働いて、自分でも知らないうちに消えて無くなってしまうのだろう。
朝の満員電車に揺られていると、ふとそんな風に思う。

鬱とはまた違う、ただの憂鬱。
「憂」の字が入ると、それは病気ではなく気まぐれとなり、甘えと見做されるから不思議だ。

後ろの誰かの手のひらが、私の尻に触れ、そして離れる。
それが故意であれ、偶然であれ、私にはどうすることもできない。

「痴漢です」と言って、犯罪者とはいえ人様の人生を台無しにはできない。
なにより、それが原因で会社に遅れることなどできやしない。

スーツ姿の大群に混じって、私は必死にスマホを握る。
落とさないように細心の注意を払って、緑の画面の上に、黄色いバーバリアンと赤いアーチャーを置いていく。

そしてふと、一生懸命足を踏ん張り、縮こまって放置村を襲っている自分が惨めに思えて、無意味な自己嫌悪の中、スマホをポケットに戻したりする。

世界は、こんなに生きにくい。

***

会社に着くと、私は目立たないように素早く自席につく。
勤務中は休憩時間以外、スマホの使用ができない。

こうしている間にも、誰かに攻められるかもしれない。
村にはアーチャークイーンの強化用に、ダークエリクサーがたんまり貯めてある。

シールドを買おうかとも思ったが、無駄なエメラルドは使いたくない。
大工は常に全員稼働させる。
エメラルドは必要以外では絶対に使わない。

それが私の、私の中でのルールだった。

「丸山さん、おはよう」
隣の椅子が軋む音と同時に、声をかけられる。

「おはようございます、佐藤さん」
反射的に、それまでの化石のような顔を引っ込め、精一杯の笑顔を作る。

隣に座る、佐藤副本部長。
このくだらない毎日で、数少ない私の癒しだ。

「ダクエリ、もう溜まった?」
「それが、まだなんですよー。また昨日もth10の格上に攻められちゃって、泣きそうになりました」

佐藤さんが、優しく笑う。
「残念だったね。
でも、そういうのをコツコツ頑張れるのが、青木さんだからね。きっとすぐに取り返せるよ」

天使か! あんたは天使か!
私は微笑みながら、いや、十分にやけながら、ありがとうございますと言った。


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総務部の契約社員として入社して3年、正社員登用されて半年。
私はずっと佐藤さんを見てきた。

正社員になると同時に、営業本部に移ったのも、佐藤さんがいるからだ。
容姿端麗、頭脳明晰、かつ性格も良くて育ちも良い。

しかし、この想いが届くことは永遠にない。
佐藤さんは既婚者だった。
一年ほど前に年上のバツイチ女性と結婚をした。連れ子の女の子は高校2年生だという。

それでも、いいのだ。
ため息を吐くと同時に、パソコンの画面が青く滲む。

メールを立ち上げ、一つ一つ摘み上げるように確認する。
その中の一つを見て、私は息を詰まらせた。

大村課長
今日のスカート、セクシーだね。
誘ってるのかい?


課長から毎朝届く、嫌がらせのメールだ。
2
ヶ月前、私は彼の食事の誘いを断った。それから、懲りもせず毎日送られてくる。

私はディスプレイの陰に隠れて、向こう側の課長を見やる。
眼鏡をかけた、一見真面目そうな面長が、間抜けに瞬きをしながら画面を見つめていた。

 

事件のニュースで「真面目そうに見えたあの人がまさか」というコメントをよく見るが、まさにそういったところだ。

社会の歯車として忠実に働いているように見えるその人は、実は歯車ではなくチェーンソーだったりする。

私が小さく、それでも深く、深く息を吐く。
彼のメールを見るたびに、私は自分が少しずつ死んでいくのを感じる。

「どうかしたのかい?」
軽い調子で、横から声が飛ぶ。

「さ、佐藤さん……
佐藤さんにはこんなこと言えない。
優しい佐藤さんだから、もしそんな状況を知ったら私のために彼を追及するだろう。

そうしたら仕事が余計に憂鬱になる。
世界がより生きづらくなる。

「いえ、なんでもないんです」
私はそっと、メールをゴミ箱に入れた。

***

マルシア
またダクエリとられてさ、マジ最悪ー

マルシア
でも隣のイケメン上司に励ましてもらって、逆にラッキーだったー^^


「昼休みまで、資源狩り? がんばるね」
ふいに声をかけられ、私は思わず声を上げる。

「佐藤さん!」
「驚かせちゃった? ごめんごめん」

そう笑う姿も、相変わらずかっこいい。

「びっくりさせないでくださいよー」
「や、ごめんよ」
佐藤さんと話す時の私は、いつもより少しだけぶりっ子だ。
自分でもわかる。でも、いいのだ。周りにどう思われても。

「あと少しでアチャクイがレベル30なんです。無駄な攻めは一回もできないから、村選びも慎重にしないと」
「そうだね。あ、そういえば」

佐藤さんが思い出したような顔をする。
「大村課長もクラクラやってるんだってね」

名前を聞いた瞬間、全身の筋肉が強張るのがわかる。

佐藤さんも、怪訝そうな表情をしている。

 

「どうかした? 大丈夫?」

「は、はい……大丈夫です」

私は精一杯強がって笑う。

 

「本当に……? 困ったことがあったら、僕でもいいし、上司の大村課長に相談するんだよ」

「……はい」

 

佐藤さんは、いつものようににっこりと笑う。

私の心の叫びなど、気づきもしないで、爽やかに笑う。

きっとこの人には、悩みなどないに違いない。

 

「でね、大村課長もいま資源狩り頑張ってるみたいだよ。もう少しで、カンストできると言っていた。面白いのが、彼のプレイヤー名が『大村課長』っていうらしいんだ。

部長になったらどうするんだろうね。そう思うだろ?」

「そうですね、はは……」

 

この人は、優しい。優しくて、無神経だ。

優しく、柔らかく、人の心に入り込んで搔き乱す。

 

私はパソコンに届いたメールに目をやる。

課長からだった。

 

大村課長

楽しそうにしやがって。お前はイケメン相手だと態度を変える。

佐藤さんと寝たんだろ? 皆言ってるぞ。

 

私はトイレに駆け込んだ。

誰にも気づかれないように少し泣き、少しだけ吐いた。

 

* * *

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その日、課長からはさらに2通の嫌がらせのメールを受け取った。

私は会社を早退すると、資源狩りも忘れて真っ直ぐ自宅に帰った。

 

会社を辞めたい。

そう思った。

 

今までもそう思うことはあった。

いや、そもそも仕事なんかしたくもなかった。

それでも、仕事を失い、収入を失い、自己嫌悪と周囲からの好奇の目を浴びて過ごすことを思うと、耐えて耐えて頑張ることが最善の道であるような気がした。

 

そして今も、それは変わらない。

課長のメールも見て見ぬふりをすれば、何とかやっていける気がする。

 

スマホが震える。通知欄には「佐藤さん」の文字が浮かぶ。

 

佐藤さん

大丈夫? 今日はゆっくり休んで、明日元気に会社に来てね。

 

私はそれに返事をしない。

仕事を辞めたら佐藤さんにはもう会えない。

辞めたい。でも辞められない。

 

いつもの癖で、無意識に指がクラクラのアイコンに触れる。

ハロウィン仕様の起動音が流れ、私は何も考えないままに襲うべき村を探していた。

 

アーチャークイーンの強化資源を稼ぐために、ダークエリクサーのある村を襲わなければならない。

あと3,000必要だから、半端な村を襲えば、次の攻撃までに奪われてしまうリスクがある。

 

しかしそういうときこそ、格下の貧相な村しか出てこないものだ。

何度も何度も次の村を探して画面を押していた時だった。

反射的に、指が止まった。

 

どうという特徴もない、TH7の貧弱な村だった。

ダークエリクサーも二桁しか溜まっていないから全く攻めるには値しない。

全壊をとっても、赤字にしかならない村だった。

 

プレイヤー名をふと見る。

大村課長。

 

私の中で、何かが弾けた。首の後ろが熱くなって、頭に血が集まってくるのがわかる。

私はダークエリクサーを集めていることなど一瞬で忘れた。

 

壊したい。

この軟弱な村をめちゃくちゃにしてやりたい。

 

私は親指を力いっぱい押し付けて、ありったけのユニットを、順番も関係なく出撃させた。

赤い法衣を纏ったウィザードが、金庫とタンクを焼き作す。

ヒーラーを従えたジャイアントが、防衛施設を蹂躙する。

 

TH7の村は、戦略も何もないユニットの渦に飲み込まれて呆気なく滅びた。

3つの画面を見ると私は、何もかも馬鹿らしくなって、カーペットの上に仰向けに転がった。

 

私は笑った。

どう足掻いても全壊を免れない課長の村の虚しさに、資源欲しさに必死に他人の村を襲う自分の滑稽さに、そして気を遣いすぎて何も解決できない佐藤さんの優しさに、私は笑い転げた。

 

こんな軟弱な人間に、辱められる毎日を辞めよう。

叶わない恋に酔いしれて、耐え忍ぶ生活を辞めよう。

 

世界はこんなにくだらない。

 

次の日、私は会社を辞めた。



To be continued...



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