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――でも私は好きだよ。そういうあなたのこと。

 

あの日、哀子という風俗嬢に言われたその言葉。

それは三か月経った今でも、記憶の内側にこびりついて、時に孤独な俺を慰める。

 

そして、時にその言葉が、知り尽くしたはずの孤独をもう一度、突き付けてくる。

 

* * *

 

クロックス

皆さん、対戦では攻め残しのないように早めに攻撃お願いします。

 

京浜東北線に揺られ、俺は一人スマホと睨みあっていた。

Clash of Clans。このゲームも始めてからずいぶん経つ。

 

むかし俺は、プレイヤー同士が協力するこのゲームの性質を無視し、一切の協力を拒否した。

たかがゲームで他人と慣れあうなど、馬鹿らしいと思っていた。

そんな風に思っていた俺は、そんな助け合いのある環境を当たり前だと思っていたのかもしれない。

 

結果、俺はクランを外された。

それから俺は色々なクランを転々としたが、どこのクランに行っても感じるのは物足りなさばかりだった。

 

人と関わり、助け合えるクランなど他にはそう多くはなかった。

自分が楽しむために他者を利用し、他人に迷惑をかけようと、悪びれることもない。

 

俺はその時、クラン「メゾン・ド・ドッグス」から外されたことを心から惜しく感じた。

自分のクランに入ってくるのは、助け合いからは程遠い身勝手なプレイヤーばかりだ。

 

エバンズ

つよいのください 0/15

 

アリストテレス3

ゴーレムください 0/20

 

クロックス

アリストテレスさん、ゴーレムは30枠なので入りませんよ。

 

真紅のグランドドラゴン

ペッカください 0/15

 

俺はすでにそんなプレイヤーに呆れることも忘れてしまった。

それでも俺は、自分の居場所を作りたくて、一人せっせと援軍を送る。

 

* * *

 

俺は11月の大通りを早足で進んでいった。

 

桜木町駅を出て真っ直ぐに歩くと、夕闇に紛れて野毛の飲み屋街が現れる。

その向こうには、黄金町の川沿いにへばりつくように集まる風俗街が見えた。

 

暗がりに蠢く黒服を躱して、俺は一軒の店の前に立った。

ソープランド「キャメロン」。

俺の行きつけだったソープランド。そして、哀子と俺が出会った店。

 

哀子は風俗嬢だった。

他の嬢のように可愛らしく愛嬌を振りまかなければ、媚びることもない。

風俗嬢としては三流どころか、四流だ。

 

だが彼女は、上辺でなく、本当の愛で俺に接してくれた。

 

本当の愛、などと言えばたかが風俗嬢と客の関係だと言われるかもしれない。

それでも俺は愛子の所作一つに温もりを感じ、その言葉一つに彼女の心を感じた。

 

――でも私は好きだよ。そういうあなたのこと。

親に見放され、兄弟に見下されたこの俺に、そう言った哀子にもう一度会いたかった。

 

しかし、この店に哀子はもういない。哀子は店を辞めてどこかに消えた。

そして俺は遊びに来たのではない。消えた哀子を探しに来たのだ。


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「お兄さん、体洗っていきませんか? 女の子の写真見るだけはタダですよ」

寄ってきた黒服を、俺は無表情に待ち受ける。

 

哀子という名の風俗嬢がいないかと聞くと、黒服は訝し気に首を振った。

特徴を伝えて写真を見ても、それは全くの別人だった。

 

哀子を探し始めてどれくらい経ったろう。

時間とともにじわじわと、哀子はすでにこの街にはいないという絶望ばかりを実感する。

 

優秀で容姿端麗、かつ人格者の両親。それをそのまま受け継いだ兄弟たち。

そんな家族に囲まれて、俺は孤独の中、一人醜く太っていった。

大学三年の今でも恋人はおろか、友達すらいない。

 

そんな俺は哀子と出会って愛を知り、それに縋り付こうとしている。

だが俺は哀子のことを何も知らない。

哀子の本名が「愛子」なのか、別の名前なのかすら知らない。

 

絶望と虚しさに、俺は川べりのベンチに腰を下ろした。

相変わらず汚い川だ。

人の欲望が、水面の油となって浮いているように思えた。

 

川岸からの風に震えながら、俺はポケットからスマホを取り出す。

この街に似合わない軽快な音と共に、クラクラを起動する。

 

開戦まであと1時間弱。

防衛援軍を見るも、誰かが捨て置いたようなバーバリアンが数体入っている以外はほとんどが空白だった。

仕方なく、片端から予め作っておいたドラゴンとバルーンを入れていく。

 

ほとんどのメンバーが防衛援軍の指定をしていない。

彼らは防衛援軍の指定どころか、対戦の不参加表示ができることすら知らないのだろう。

 

それでも、俺は彼らを対戦に入れざるを得ない。

まず人数が足りないし、彼らの攻撃を信じて待つことが、クラメンに対する愛だと思っていた。

 

しかしこれでいいのだろうか。

中途半端なクランを続けていくより、クランを解散して新しいクランに入ったほうがいいのではないか。

 

「メゾン・ド・ドッグス」のリーダーは、なぜあんな活発なクランを作ることができたのだろう。

心の奥底で、劣等感が際限なく膨張する。

 

自会いたい人すら見つけられない。クランもまともに運営できない。

そんな俺は、どうしたらいい?

なあ、哀子――。

「何言ってるんですか、やめて!」

その時、通りの向こうで声がした。

ふと顔を上げると、制服にカーディガンを羽織った女子高生が、さっきの黒服に腕を掴まれているのが見えた。

 

黒服は女子高生危害を加える様子ではなかったが、太い腕で掴まれた女子高生は、華奢な腕を振り回して逃れようとしていた。

 

――哀子、俺には何ができる?

いない哀子にそう問いかけると、俺は反射的に立ち上がった。

 

* * *


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「はい、これ」

自販機で買ったコーヒーを渡すと、女子高生はそれを両手で包み込んだ。

 

女子高生の目的は分からない。

しかし街をうろついているうちに風俗街に入り込み、「女子高生のコスプレをした風俗嬢」だと勘違いされた結果、黒服に声をかけられたようだった。

 

女子高生と少し距離を置いてベンチに腰を下ろす。

連れてきたものの何を話そうかと考えているうちに、自分が風俗嬢以外の女の子と話したことがないことと、対戦の防衛援軍をまだ入れ終えていないことを思い出した。

 

かじかむ手でポケットからスマホを取り出すと、女子高生に気づかれないようクラクラを起動する。

しかし、マナーモードにするのを完全に忘れていたスマホは、雰囲気に全くそぐわない起動音を発し、クラクラの画面を開く。

 

「えっ……」

女子高生がピクリと反応し、困惑した顔で俺のスマホを見つめる。

 

「ちょ、ちょっと思い出したことがあって……」

弁解する俺に女子高生は言った。

「クラクラ、やってるんですか」

 

言葉を失った俺を尻目に、女子高生は俺の画面をのぞき込むと、タウンホール11の俺の村を見て小さく息を漏らした。

その横顔に見覚えがあって思い返すと、彼女はいつの日か駅で演奏をしていた女子高生だった。

 

「……君、まだ高校生だよね」

「はい」

 

「ここは、高校生が入るような街ではないと思うけれど」

「そうなんですか」

「だってここ、どう見ても風俗街だろう?」

 

それを聞いて、女子高生は慌ててあたりを見渡した。

ピンクに光るネオンを見て、「昔ながらの居酒屋かと思った……」そんな風に言った。

 

その様子があまりにも呑気で、俺は少しだけ笑った。

「君、名前は?」

「アキです。佐藤秋」

 

「ここには来ないほうがいいよ。何をしていたのか知らないけど」

「……父を探していたんです」

「え、お父さん……?」

 

「父は昨日の夜、家を出ていきました。母には朝連絡がありましたが、会社も休んで、それ以外は連絡も取れません」

「なんで、そんな……」

「私のせいです」

 

秋と名乗った少女は、そう言うと最後に「きっと」と小さく呟いた。

その様子に、俺はそれ以上父親の出ていった理由を聞くことはできなかった。

 

「クラメンに相談したんです。男の人が一晩過ごしに行く場所はどこかって」

「それでこの場所なのか。何も、男の人が全員ここに来るわけはないだろうに」

「私、父のこと何も知らないんですよ。好きなものも、何も」

 

それから俺は何も言えなくなった。

ここ数年、親と話してすらいない自分が何か言っても、この子の救いにはならないような気がした。

 

秋は小さく震え、白い息を吐いて立ち上がった。

「寒いですね。私帰ります。ここには父はいない気がするので」

それから秋は、ありがとうございましたと頭を下げた。

 

「俺もさ」

去りゆこうとする秋に、とっさに俺は話し出した。

「俺も人を探してるんだ。でも、その人を見つけることはできなかった。

俺は一人じゃ何もできない。バーバリアンみたいなもんだよ。ペッカみたいに一人で全部変えられるような力はない」

 

秋は街頭に照らされて小さく首を傾げた。

自分でも何が言いたいのかわからなくなってくる。

 

「だけど、その……。みんなで集まればけっこう色々できる。

それで多分、君もペッカじゃなくてバーバリアンだ。アーチャーでもいいけれど。

だから、きっと周りには色んな人が必要で、君も必要とされているはず。

君のお父さんからも」

 

言い終わるころには、俺はすっかり汗をかいていた。

人と話すことなど年に何度もないにも拘らず、これだけ長いこと話したせいだった。

 

秋は少しの間、戸惑っていたようだったが、やがて静かにほほ笑むと、踵を返して大通りに消えていった。

力の抜けた俺はもう一度ベンチにもたれかかり、スマホを取り出した。

 

対戦は間もなく始まる。

もう一度防衛援軍を確認すると、空白だったはずの援軍はバーバリアンで埋められていた。

 

誰かが援軍を入れたのだろう。

このレベルの低いバーバリアンでは、相手の攻撃に一瞬で炭と化してしまうに違いない。

それでも、俺にとっては今まで誰も見向きもしなかった防衛援軍を誰かが埋めてくれたことが嬉しかった。

 

スマホを閉じて川べりを見ると、黒い川の中で、魚か何かが小さく水を叩くのが見えた。

――そうだ、ブログを始めよう。

 

俺はそんなことを思った。

この弱小クランが、最高のクランになる過程をブログにしよう。

そしたらその題名は、何がいいだろうか。

 

暗い川の表面で、また何かが小さく跳ねては、水の中に消えていった。



To be continued...


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