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俺は穴の中にいた。

ひんやりしたコンクリートの狭い通路は、脛くらいの高さまで水に浸かっている。

 

その水をじゃぶじゃぶと割って進み、奥の方から腐った木やら、黒い袋に入った汚物やらをかき集めては、古びた布袋に片端から詰めていく。

水路の掃除は、うちの会社ではよくある仕事だった。

 

aki

父が、失踪しました。

 

せっせと作業をしながら、俺は昨夜のクランチャットを思い出していた。

その衝撃的な一言に、俺は何と言っていいのか分からなかった。

 

キムタク

父というのは、お父さん?

 

混乱のなか打ち込んだ、あまりに無価値な問いに、俺は我ながら呆れかえった。

akiという高校2年生のサブリーダーは、律儀にも「はい」と答えた。

 

訊くと、akiと彼女の父親はあまり仲が良くなかったらしい。

普段から会話はなかったが、些細な口論が原因で父親は家を出ていったという。

 

akiは自分を責めているようだった。

自分のせいで父親は家を出ていったのだと、そう考えているようだった。

 

俺はふと、もう15年前に出ていった妻と娘を思い出した。

すぐにカッとなって手が出る俺に愛想を尽かし、妻は娘を連れて出ていった。

 

娘の名は秋といった。

秋には、妻と別れたきり会っていないが、いまは高校2年生になっているはずだ。

 

秋とaki

実はakiは自分の娘なのではないか、と思うのは俺の考えすぎかもしれない。

しかしそういう理由もあって、俺は妻と娘への罪滅ぼしのつもりで、akiには我が娘のように接してきた。

 

しかし、所詮は俺も同じクランに所属するクラメンでしかない。

父親が失踪したakiに対してできることといえば、表面的な慰めの言葉をかけることくらいだった。

 

「木村さん」

背後から籠った声が聞こえて振り返ると、同僚の久保さんが同じく汗と泥にまみれて微笑んでいた。

 

「ちょっと休憩にしませんか」

俺は我に返ると、少しだけ笑って、久保さんに続いて水路の外に這い出た。

 

* * *

 

俺たちは近くの公園に入ると、二人で並んで適当なベンチに腰を下ろした。

何もない殺風景な公園だった。

 

久保さんは自販機で買ってきたコーヒーを俺に差し出して言った。

「また奥さんと娘さんのことを考えていたんでしょう」

 

俺は図星を突かれたことに戸惑いつつも、目を伏せて僅かに頷いた。

 

久保さんは俺より3つほど年上だった。

昔は名のある印刷会社の社長だったそうだが、不運な事件に巻き込まれて家族も財産もすべて失ったという。

 

そんな久保さんだからこそ、妻と娘と別れて一人で生きてきた俺を理解し、俺もすべてを打ち明けてきた。

俺はそんな優しい久保さんを慕っていた。

 

「木村さん、最近変わったよね」

「そうでしょうか」

久保さんは自分のコーヒーに口をつけると、ずず、と啜った。

 

「昔はとにかく気が荒くて、自分の思い通りにならない世の中が全部悪い、って感じだった。何かあるとすぐ人を殴るしね。

それが最近、丸くなった。人を殴らないだけでなくて、人の話をよく聞いて優しい言葉を選ぶようになった」

久保さんはそんなことを言って俺を見ると、「なぜだろうね」と続けた。

 

「それはクラン……いや、自治会の役職に就いたのがきっかけなんです。人の上に立つということは、自分の行動が常に人に見られるということですから」

俺がそう曖昧に笑うと、久保さんは少し目を細めた。

 

俺が変わったのはあの日、クラン「メゾン・ド・ドッグス」のサブリーダーに任命された日だ。

自分勝手で喧嘩ばかりしていた俺も、クランチャットの文字での会話なら人に優しくすることができた。

 

自分の素の一面に気づくと同時に、クランで必要とされる喜びを一杯に噛みしめた。

それから俺は、頼られる人間になろうと思い、自分を変えた。

 

「そう変われた俺だから……出ていった妻と娘ともう一度やり直せるなら、うまくやれるような気がするんです」

俺は手元のコーヒーを握った。缶の中で黒い液体が震えているのが分かる。

 

「それは、無理だよ。木村さん」

「分かっているんです。分かっているけど、やっぱり悔しいんです。

あの時娘はまだ2歳。高校生になった今、きっと俺のことなんて覚えちゃいないんです。

だから、あの時の俺の失敗が今になって身に染みて、忘れることができないんですよ」

 

なんかすみません、と言って俺は鼻水を拭った。

久保さんは、少し困ったように俺を見て、そして何も言わなかった。

 

「さ、仕事に戻りましょう。すみません、何か暗い話で」

俺はベンチから立ち上がると、軽く伸びをした。

久保さんに余計な心配はかけまいと思ったが、久保さんは眉を下げて心配そうに座ったまま俺を見ていた。

 

その時だった。俺の視界の端に女性の影が映った。

人目を憚るように猫背で歩きの早い、女性の背中が見えた。

 

俺はその後ろ姿に見覚えがあった。

 

「久保さん、すみません、先戻っていてください」

「え……?」

 

俺はベンチに腰かけたままの久保さんを置いて走り出した。

どうしてこんなところに? いや、それはどうでもいい。

いま声をかけなかったらきっと俺は後悔する。

 

「佳代子!」

俺は15年ぶりに見る元妻の後ろ姿にそう呼びかけた。

 

* * *

 

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「げ、元気か……?」

ありきたりすぎる自分の言葉に、俺は再び呆れかえった。

 

しかし、声をかけられたほうにとっては、そうではなかったらしい。

それもそうだろう。15年会っていなかった元夫に、全く予期せず声をかけられたら誰だって驚く。

 

「拓男さん……?」

「ああ。……15年ぶり、だね」

俺はどう話していいのか、敬語を使うべきか、昔のように話すべきかも分からずに言った。

 

「なんでこんなところに……?」

「偶然見かけたんだ」

「そう……」

 

佳代子は俺に目を合わせることはなかった。

当然のことだ。

夫の性格が原因で家を出た15年後、突然その夫に呼び止められたのだ。

 

しかし、俺は「じゃあ元気で」と言って別れる気にはなれなかった。

もう少し話がしたい。

そう思って、俺は迷惑を承知で佳代子の隣を歩いた。

 

「元気にしてた?」

「ええ……」

 

「秋も、元気か?」

「いまは高校2年生。来年は大学を受験するわ」

「そうか……」

 

秋はClash of Clansというゲームをやっているのではないか?

そう訊きたかったが、その答えを聞いた俺がどうすることもできないことは分かっていた。

 

佳代子は駅へ向かっているようだった。

俺はいつまでついていってもよいのか迷いながら、あくまで自然に、佳代子の隣を歩いた。

 

俺は一方的に自分の近況を話した。

別れてから、清掃会社に就職したこと。特に毎日楽しみもなく、退屈に、それでいて健康に過ごしていたこと。

そして、この場所へは仕事で来ていて、休憩中に佳代子の姿を見かけたこと。

 

話しているうちに、佳代子の警戒心も薄れているようだった。

女っ気もなく寂しい毎日だと俺が言うと、口元に手を当てて少しだけ笑った。

俺にはそれだけで嬉しかった。

 

口元に持って行った左手の薬指に、金色の指輪が見えた。

「指輪……再婚したのか」

「ええ、2年ほど前に」

 

俺は声が震えないように努めて笑った。

「そうか、お前と結婚するんだから、さぞかしいい男なんだろうな。秋ともうまくやっているんだろう?」

 

俺は冗談のつもりだった。

しかし佳代子は笑わなかった。

 

「……秋とはうまくいっていないのか」

「あなたには関係ないわ」

佳代子は少し歩を速めた。それに合わせ、俺も少し大股で進む。

道路の反対側に<駅まで300メートル>の標識が見えた。

 

「新しい父親に問題があるのか?」

「ないわ、優しい人よ。優しすぎるほどにね」

 

佳代子はそう言うと、もうついてこないで、と続けた。

俺はそれが聞こえなかったふりをして、もう一度隣に並ぶ。

 

「それなのにどうして秋は仲良くなれない?」

「分からないわ。もともとなのよ。一昨日も本当に些細なことで口論になって、それで……」

 

aki

父が、失踪しました。

 

突然、昨日のクランチャットでのakiの発言が俺の脳裏をよぎった。

同名の高校2年生。どちらも父親との間に不和あり。一昨日の夜、父親と口論。

まさか、秋は本当にakiなのか。

 

「それで失踪したのか。秋の父親は……」

ふと口を突いた言葉に、佳代子は立ち止まった。

 

つられて立ち止り、佳代子を見る。

「失踪なんて、違うわ」

佳代子は俺を見ず、斜め下に視線を泳がせると、そう呟いた。

 

それは強がりだったのかもしれない。他人となった俺に弱みを見せたくなかったのかもしれない。

佳代子は嘘をついている。俺はそう思った。

しかし、俺は何も言えなかった。それを追求する理由も意味もなかった。

何も言わないまま、俺は佳代子の横顔を見ていた。

 

「駅まで行くだけだから。本当にここで」

ややあって佳代子は再び歩き出すと、今度は俺を睨むように見て言った。

 

「おせっかいですまん。秋も佳代子も、俺のことなど忘れていただろうに」

俺は何と言っていいのか分からず、そんな風に誤った。

 

すれ違いざま、佳代子はこんな風に言った。

「秋が父親に馴染めないのは、あなたのことをまだ覚えているからしれない」

 

俺は何も言えず、ただ立ち尽くして佳代子を見送るしかなかった。

佳代子は振り返ることもせず、駅に向かって真っすぐ歩いていった。

 

* * *

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「木村さん」

元の薄暗い水路に戻ると、久保さんが振り返って手を挙げた。

 

「すみません、遅くなって」

「いや、いいんだ。それより、何かあったのかい?」

 

俺は少しだけ考えて、

「いや、何も」とだけ答えた。

久保さんは怪訝そうな表情を見せたものの、それ以上何か聞いてくることはなかった。

 

俺は嬉しかった。

秋は実際のところ、俺の顔も声も覚えてはいないのだろう。

それでも秋の中には、本当の父親として俺の存在が消えずに残っていて、まだ細々と生き続けている。

 

しかし、それが秋と新しい父親との不和を生んでいるとしたら、身を引かなければいけないのは俺だ。

 

その日の夜、俺は一人自宅でクラクラを開いた。

深夜一時。対戦も終わり、チャットも静まっている中、俺は一人、スマホの画面に指を滑らせた。

 

キムタク

akiさん、お父さんはきっと戻ってくる。

どんなに鬱陶しがられても、会えないほどに遠くにいても、自分が必要とされている限り、子供のことを心配しない親なんていないんだから。

お父さんはいつもakiさんを見守っていることを忘れないように。

 

キムタク

クランを脱退しました。


To be continued...


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