※こちらは、最終話の「後編」です。


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「おじさん、なんで家を出てきたの」

 

その問いにどう答えようか迷って、私は少し黙った。

 

「言えないんだ?」

「そうじゃないが、恥ずかしいというか、情けない話なんだ」

「聞かせてよ。退屈なんだ」

アイコは私を思いやる素振りもなく言った。

 

「居場所がなくなったんだ」

なんで私がと思いながらも、断った後の沈黙を恐れた私は思いつくままに言葉をこぼした。

 

「仕事一筋で、真面目に生きてきた。真面目に結婚をして、離婚をして、バツイチになったけれど真面目に再婚をした。

しかしいま、尽くしてきた会社には、私がセクハラをしたと思われている。再婚した妻の連れ子とは折り合いが合わず、煙たがられている。

私はただ一生懸命働き、真面目に生きて、平和な家庭が築きたかっただけなんだ」

 

アイコは余計な同調をしない代わりに、黙って静かに聞いていた。

その沈黙に促されて、私はさらに続ける。

「そんな時に私はクラクラの対戦で大きな失敗をした。私のせいで対戦には負け、メンバーには責められた。

私の居場所は会社にも、家庭にも、ゲームの中にもなくなってしまった。そして、気がついたら夜中に家を飛び出して、この山の中にいたんだ」

 

暗闇に慣れた目が、アイコの影を捉える。

その影がするりと動き、三角座りをした私の影と横に並ぶ。

二の腕に触れるアイコの肩が、やけに温かく感じた。

 

「辛かったね」

アイコはそれだけ言った。

淡々とした物言いだったが、上辺の言葉で励まされるより少しだけ、楽になった気がした。

 

「君は、どうしたんだ」

私は隣のアイコに問いかける。

「君も、何かあってこんなところに来たのだろう」

 

若い女の子がこんな山中のぼろ小屋で夜を明かすに至った理由が、少しだけ気になった。

それになにより、自分が彼女の役に立てるのなら立ちたいと思った。

 

「……たいしたことじゃない」

アイコはそう呟くと、三角座りの膝を強く抱いた。

 

「そう言わず、私でよかったら話してみなさい。

何があったか知らないけれど、君はまだまだやり直せるし、変えられる。

仕事だって恋愛だって、そう家族関係だって、その気になれば変えられるじゃないか」

 

「それって」

暗がりの中で、私の肩くらいの高さから、アイコの丸い黒目が覗き込んでくるのが映った。

「もし私がアイドルを目指して東京に来て、夢破れて女優にも、舞台役者にも、声優にもなれず、挙句AVに出ようとしたけどやっぱり怖くてAV女優にもなれず、ソープ嬢になったけど結局相手にされなくて住むところも追われた可哀そうな23歳の女の子だったとしても、同じことが言える?」

 

「い、言えないな……」

狼狽える私に、アイコは無邪気に笑って、また少しだけ私のほうに寄ってきた。

「でもその中で、私のことを特別に思ってくれる人に会えたから、それはそれで価値があったんだと思うけれど」

 

「君は……温かいな」

アイコの話の感想を話す代わりに私がそう言うと、彼女は「おじさんもね」と少しだけ笑い、寄せた腕を持ち上げて私の頭を軽く撫でた。

 

* * *

 

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「着いた、ここだ」

 

次の日の明け方、出発すると目的地へはすぐに着いた。

山の中の小さな集落にあるその土地は、危うく見落としてしまいそうなほどに雑草が生い茂り、周囲の空地と一体化していた。

 

「ここは?」

律儀にもついてきたアイコが、寝不足の目をこすりながら私に訊く。

 

「ここは畑だ」

遠くに見える、「農業体験場へようこそ!」という看板を指さしながら私は答える。

「いや、正しくは『畑だった』か。もう長いこと使われていない」

 

「……それで、ここが何なの?」

アイコは興味なさそうに言った。その態度に私はもう慣れつつあった。

 

「昔、ここには一年中、多くの家族が遊びに来ていたんだ。

あのへんに駐車場があってね。バスも出たりしていて、私は毎年一回、両親に連れられてこの畑に農業体験に来ていた。農家ごっこみたいなものさ。土を掘ったり苗を植えたり」

やや霞がかった30年以上も前の記憶に、私は少し喉が詰まる感覚を覚えた。

 

「私は小さいころ、畑いじりが好きでね。もしかしたらそういう経験があるからクラクラが好きなのかもしれないけれど……。

私にとっては、その頃家族と過ごした思い出が、人生で一番の思い出なんだ。そしてそんな楽しい思い出を作れる家庭を築きたいと思ったんだ。

ここに来たら、その時の気持ちが思い出せるかもしれないと思ってね。はは、馬鹿らしいと思うかい?」

 

畑の看板を眺めながら、黙って話を聞いていたアイコは、私の問いかけにわずかに首を横に振った。

「それで、思い出せたの?」

「ああ、思い出せたよ」

それだけ話すと、私たちは壊れたベンチに座って、少しの間、荒れた畑を見ていた。

 

「おじさん、家に帰りなよ」

「……そうだな」

 

「娘さんも、会社の人も、クランの人たちも、みんなおじさんの帰りを待ってると思う」

「ああ」

 

「少し寂しいけど」

「君は、どうする?」

 

「養ってくれるの?」

「いや、それは無理だ」

 

「嘘だって」

そこまで言って、アイコはまた笑った。

 

「おじさん、いい人だね」

「……ああ」

 

「帰りなよ。家に」

「ああ、帰るよ。家にも、会社にも、クランにも」

 

私は、帰ることにした。

 

* * *

 

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帰ろう。そう思うと、帰りの道のりは早かった。

 

見つけたバス停から出たバスは、私たちを近くの私鉄駅まで連れて行ってくれた。

アイコはその駅で降りると、案外あっさりと別れを告げて、振り返ることもせず人混みの中に消えていった。

 

時刻は午前8時。

電車に乗ってしばらくすると、大きな駅を過ぎ、車内はにわかに混み始めてきた。

 

偶然空いた座席に腰を下ろすと、それまで麻痺していた疲れが一気に体にのしかかった。

それでもこれからの毎日を思うと、眠る気分にはなれなかった。

手始めに私はポケットからスマホを取り出し、携帯充電機のコードを突き刺すと、クラクラを開いた。

 

私は帰るのだ。

相変わらずクラン名の書かれていないクランの城を確認すると、ブックマークに一つだけ登録されているクラン「メゾン・ド・ドッグス」を選び、迷わず加入ボタンを押した。

 

間もなく申請が承認され、チャットに赤い「!」マークが浮かび上がる。

 

佐藤

クラン参加をyuzyが承認しました

 

ゴールド・ロジャー

佐藤さん! 帰ってきてくれたんですか

 

佐藤

今帰りました。

急に出ていって申し訳ありません。

 

レッド

佐藤さん、お帰りなさい!

 

スカイブルー

わー、佐藤さん!

 

yuzy

佐藤さん、帰ってきていただいてありがとうございます。

また、一緒に頑張りましょうね。

 

「ありがとうございます」と打とうとしたところで、隣の席の乗客と腕がぶつかった。

すみません、と隣を見ると、ワイシャツがはち切れそうなほどに太った中年男がいた。

もう11月だというのに、男の額にはうっすらと汗が滲んでいる。

 

男の手の大きさと比べて、異様に小さく見えるスマホを、男は太い指で一生懸命操作しているようだった。

横向きにされたスマホを見て、私は少しだけ心が躍るのを感じた。

 

「……ジャイアントはさ」

私が自分のスマホに視線を落とそうとしたとき、太った男が、聞き取りづらい低い声で呟いた。

 

「ジャイアントは、クラクラには絶対に欠かせない。大砲に撃たれても、弓で狙われても、後ろのウィザードを守るために、文句も言わずに自分を犠牲にしてしまう」

太った男が何を言っているのか、誰に喋っているのかさえ、はじめ私には分からなかった。

 

それでも構わず、男は続ける。

「僕もあなたも、そういう運命なのかもしれない」

「え……?」

 

太った男はそこまで言うと、スマホをワイシャツの胸ポケットに入れて、立ち上がった。

「あなたは……?」

「でも、そんな僕らを、実はゴーレムが守ってくれているのかもしれない。そう思うと、少し救われる気がする。

……ね、佐藤さん」

電車が止まり、扉が開くと太った男は、脂肪を揺らして電車から降りていった。

 

名前を呼ばれた私は、はっと顔を上げたものの、どうすることもできずに、ただ呆気に取られてその後ろ姿を見送るほかなかった。

開いたままのクランチャットには、新しいメッセージが浮かび上がっていた。

 

メイプル

佐藤さん、がんばれ♡

 

* * *

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何も変わらないな。

三日ぶりに自宅の最寄り駅に降り立った私は、ふとそんな当たり前のことを考えた。

 

改札を出ると、人の波に逆らって家に向かって歩く。

いつもあの波の一部になっているかと思うと、少し不思議な気分になる。

 

家に着いたら、秋に何と言おうか。

「ごめんな」だろうか。「心配かけたな」だろうか。

いや違う。

 

「よろしく」ではないか。

未だ始められていなかった、秋との親子関係を始めなければならない。

その新しい毎日のために、必要なのは「よろしく」ではないか。

 

そんな風に私は思った。

この坂を登ればもうすぐ家だ。

 

そうだ、マイホームを買おう。

秋と妻と私だけの、新しい家を買おう。

 

ふと坂の頂上に目をやると、こちらを見て立ち尽くす、小さな制服姿が見えた。



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